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塔頭が立ち並ぶ【大徳寺】 それぞれの塔頭ごとに趣のある庭で、静かなひとときを

大徳寺

2018年06月15日

塔頭が立ち並ぶ【大徳寺】 それぞれの塔頭ごとに趣のある庭で、静かなひとときを

by まどか佐希 まどか佐希

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北区にある臨済宗大徳寺派の大本山、大徳寺。鎌倉時代に建立されました。
応仁の乱で焼失しましたが、一休さんのモデルとなった一休宗純により復興。
桃山時代には、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、秀吉や諸大名による塔頭建立が相次ぎました。
境内には、別院2ヶ寺、塔頭(※)22ヶ寺が現存しています。
今回は大徳寺内に現存する諸塔頭を紹介します。
どれも枯山水の庭園の見ごたえはもちろん、入口までの庭も抜群の場所ばかりです。

※塔頭(たっちゅう)…禅寺にとって、とりわけ重要な人物の墓所施設。高僧が住んでいた小庵やゆかりある地に建てられたものや大名が僧に隠居所を寄進したもの。それらを由来とし、独自に檀那をもち、寺領を抱え、実質的にその門派の独立した一寺として発展したものもある。

さて、紹介の前に!

大徳寺境内
大徳寺境内

龍源院

まずは龍源院のご紹介。

戦国大名の畠山氏、大友氏、大内氏によって建立された、大徳寺で最も古い塔頭寺院。

珍品も多数収集されており、豊臣秀吉と徳川家康が対局したとされる「四方蒔絵碁盤・碁笥」や、日本最古のものと伝えられる「種子島銃」などがあります。

龍源院
龍源院

表門、方丈、唐門は重要文化財に指定されています。
方丈は室町時代の禅宗方丈建築として、その遺構を完全にとどめている唯一つのものと言われています。

さて、お庭ですが、4つのお庭があります。
「一枝坦(いっしだん)」、「東滴壺」、「龍吟庭」、「滹沱底(こだてい)」の四つの庭があります。

一枝坦(いっしだん)

一枝坦(いっしだん)
一枝坦(いっしだん)

鶴島、蓬莱山、亀島からなる方丈前庭。白い砂が大海原を現している。

庭の中央右より石組で蓬莱山(仙人の住む不老長寿の吉祥の島)
右隅の石組が鶴島
左の方の円い形の苔山が亀島

言葉では表すことのできない悟りの世界を視覚的に表現したものが禅の庭園といわれています。

東滴壺

方丈の東にある壺庭。日本最小の石庭と言われています。
一滴がそのまま大海につながっていることを表現しています。

東滴壺
東滴壺

龍吟庭

方丈の北庭、三尊石組から成る須弥山(この世界は九つの山、八つの海からなっていて、その中心が須弥山という仏説)形式の枯山水庭園で、相阿弥の作と伝えられている。杉苔は洋々と果てしない大海原を現し、石組が陸地を表している。

龍吟庭
龍吟庭

滹沱底(こだてい)

庫裡の書院南軒先にあり、阿吽の石庭とも呼ばれている。左と右の基礎石は昔、聚楽第のものと伝えられています。

滹沱底(こだてい)
滹沱底(こだてい)

黄梅院(おうばいいん)

黄梅院のご紹介。
ここ、普段は非公開で門も開いていません。特別参拝をしているときには公開されており、また、中で催事が行われているときには門が開きます。
なかなか見ることのできないお庭が見られたらラッキーかも(*‘ω‘ *)

黄梅院(おうばいいん)
黄梅院(おうばいいん)

織田信長が父・信秀の追悼供養のために創建。そのときは黄梅庵と名づけられました。
その後、春林の法嗣の玉仲宗琇が入寺し、小早川隆景の帰依を受け、堂宇を整備し黄梅院となりました。隆景の援助で本堂が建立され、黄梅院は小早川氏の宗家の毛利氏の保護下になります。
院内には毛利家、織田家、小早川隆景、蒲生氏郷の墓塔があります。

毛利家、織田家、小早川隆景、蒲生氏郷の墓塔
毛利家、織田家、小早川隆景、蒲生氏郷の墓塔

興臨院(こうりんいん)

興臨院(こうりんいん)
興臨院(こうりんいん)

普段は非公開となっております。
建立されたのは、戦国大名・畠山義総公です。
本堂、表門、唐門は重要文化財に指定されており、本堂屋根は前田利家公により修復が行われている。
それ以降、前田家の菩提寺として有名である。墓地には畠山家歴代の墓もあります。

興臨院(こうりんいん)2
興臨院(こうりんいん)2
興臨院(こうりんいん)3
興臨院(こうりんいん)3

方丈はこんな感じ!

興臨院(こうりんいん)方丈
興臨院(こうりんいん)方丈

檀那の間から見える景色は最もよいといわれています♪

興臨院(こうりんいん)方丈2
興臨院(こうりんいん)方丈2

こんなおもしろいものも!これはお茶碗かな?まつたけもありました!
ぜひ、探してみてください。

床板

多羅葉の樹。郵便局のシンボルツリーです。

多羅葉の樹
多羅葉の樹
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